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流れが変えられてゆくとの著者の見方がそこに示されている。

孝彦です、羽生結弦くんがつけているネックレスはブラックですが、ブラウンもあります。
ブラックは首回りの長さが50cm、ブラウンは40cmです。
紐の部分は、ブラックはナイロン、ブラウンはレザータッチ素材と、感触と強度にこだわった材質を使っていてとても安心感があります。
羽生くんがあれだけ激しく動くフィギュアスケートの演技中にネックレスをつけたままでいることからも、その安心感がわかりますね。
羽生結弦ネックレス
では次の話題。
頼朝がこの参道を整備したのは、妻の政子が万寿を身ごもったとき。
鶴岡八幡から由比浜へまっすぐに通る参道の造営も、神池造りも、すべて政子の安産――ひいては男子誕生を祈るためのものに他ならなかったと本書の一編いもうとは記す。
八幡宮には晴れ着の女性や外国人の姿もチラリホラリ。
2010年に強風で倒れた大イチョウは、3代将軍の実朝を暗殺 した頼家の遺児、公暁が身を隠したとの伝説から隠れ銀杏の異名を持つ。
残った根から芽生えた若木はスクスク育っている様子だ。
タウン誌かまくら春秋での連載をまとめた散歩エッセー私のかまくら道によれば、永井さんが鎌倉に移ったのは1962年、本書の最後の一編覇樹を書いているときだった。
以来、40年近く住み続けた。
さすがに鎌倉時代につくられたものはあまり残っていないが、鎌倉の街を歩くことで歴史を生々しく感じられたのではないか。
永井さんの鎌倉あるきに同行したかまくら桜の会会長の高柳英麿さんはそう振り返る。
八幡宮の東側の地は頼朝が幕府を開いた場所で、近くに頼朝の墓もある。
しかし、源氏政権は3代で終わり、政庁も海側に移る。
兵どもが夢の跡という 芭蕉の句の一節が頭をよぎった。
炎環は同人誌近代説話に発表した3編に書き下ろしの1編を加え、64年に単行本として刊行。
翌年、直木賞を受賞した。
4編は長編の一章でもなければ独立した短編でもない。
歴史は一人一人が主役のつもりでひしめきあい傷つけあううちに、いつの間にか流れが変えられてゆくとの著者の見方がそこに示されている。